文殊様の縁日が行われます。
今年も4月25日、阿東徳佐の恵長寺にて、文殊様の縁日が行われます。
【主な内容】
恵長寺、文殊堂の言われの説明。
大きな経本で頭と肩を軽く御祈祷(有料)。
【恵長寺と文殊堂とは】
長門の国 徳佐萬國山恵長寺に附属する文殊堂は、往古、宮様家隣村御所河内村に安居(宮様や僧が一定期間外山しないで、一室に籠って修行する)節に恵長寺および文殊堂を建立されたという。
昔は、後白河法皇の荘園〈阿武御領〉があった。
阿武御領の地は明確に、どこかということはわからないが、御所河内(ごしょがわち)と領家(りょうけ)の地名からしても、この地が〈阿武御領〉であったのではないだろうかと推定される。
その後、享禄年中(1528~31)石見国津和野城主三河守吉見三郎隆頼公がこの由緒ゆえに、吉見家代々の菩提ならびに、祈願所として再建したので、三郎隆頼公をもって開基とした。
また宝暦十一年(1761)と文政二年(1819)三月二十五日に焼失す。
その都度國主が再建したとある。
その後、寛文年中(1661)山口市内瑠璃光禅寺十七世大和尚禅師によって
恵長寺開山となる。
現在の御堂は、文政年中(1818)萩毛利氏により再々建立された。
寺院附属の堂宇としては、山口県下第一の建築物。
この御堂に安置する文殊菩薩様は、奈良朝の高僧行基菩薩作と伝えられ、準国宝的仏像彫刻であることは既に広く世間に知られている。
文殊菩薩は、観音菩薩と共に、古来民間信仰に厚い尊崇を受け、釈迦の左側に坐し智恵第一の仏様であることは、これ亦周知のこと。
場所…恵長寺 〒759-1511 山口県山口市阿東徳佐上3537
*マップは下記URLにてご確認ください。
https://www.google.co.jp/maps/place/%E6%81%B5%E9%95%B7%E5%AF%BA/@34.408607,131.7458182,14z/data=!4m2!3m1!1s0x0:0xb51893ff08567cd0?sa=X&ved=0ahUKEwi0oIOOwKPMAhXLmZQKHeV7BxkQ_BIIXjAK